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聖ヒエロニモ・エミリアニ             記念日 2月8日



 孤児や捨て子の守護の聖人のヒエロニモ・エミリアニは、1486年ヴェニスの貴族の子として生まれた彼は15歳の時、軍隊に入った。そして25歳にしてカステル・ヌオヴォの砦の主となったそれはちょうどヴェニスとフランスの戦争の時で、敵軍の激しい攻撃に持ちこたえられず、砦は占領され、彼も地下の牢獄で鉄の鎖につながれて囚われの身となる。
 不運な牢獄の生活は、ひどい屈辱的な日々で、遂に彼も悩みのあまりに反省せざるを得なかった。「もし神の恵みで自由が与えられるなら、これまでの悪い生活から、きっぱりと足を洗おう」と、心にかたく誓い、聖母マリアに祈りを捧げたのであった。

 こうしたある日、それは7月26日であったが、まったくありえないことが彼の身の上に起こった。彼はぜんぜんその姿を見られないで、堂々と敵の真ん中を通りぬけて、外に出たのだ。その足は、まっすぐトレヴィゾ市の聖母巡礼聖堂に向かい鉄鎖を壁にかけて感謝した。どれほど熱心な感謝の祈りが捧げられたかは、その後の生活によくあらわれている。

 彼は再び取り戻した砦に帰り、まもなくヴェニスに呼ばれて、政治的な任務についたが、彼の心は別にあった「この命は、神のものだ、私はもっと、もっと献身できる生活をしたい」と考える彼に、決定的な時期が訪れた。

 1528年、この地方に大飢饉が襲い、町々に孤児があふれると余生を神に捧げ司祭となった彼は、病気と飢えに苦しんでいた子供達をさっそく家に引き取って世話をした。丈夫で働ける浮浪者には職を見つけ幼い孤児達を集めて衣食を与え教理を教えて信仰に導いた。
 しかし飢饉は、重大な後遺症を残し、ペストの大流行にみまわれた。彼自身も感染したが、奇跡的な治癒を受けると全財産をなげうって、イタリアの数カ所に孤児院を設立し社会事業を起こした。

 こうして彼は、後に協力者達と、ソマスコの小さな町に、慈善事業を、その目的とした新しい修道会、貧者のしもべ会(ソマスコ会)を創立た。なおヴェロナ市にも病院を建てて病人の為に尽くした。

 そして、二度目のペストが襲ってきた1537年、患者の看護で自分も再び感染をうけ、会員にみとられながら愛の殉教者として天の光栄に召された。2月8日のことである。